と表題は新しいように書いていますが、2011年版のコピペ&手直し(笑)かなり書き換えてみましたが、まだまだ稚拙な文章です。
またまた「『山笠に学ぶ組織論』を読みましたぁ」という奇特な方に出会いまして、ありがとうございますと、改めて再々度、自分で今読みなおしてみても、けっこういいこと書いているよなぁと自画自賛。(笑) 元来いい加減な性格ではあります。多少理屈っぽくなってきておりますが、私の職業柄と言いますか、小規模労働集約型企業を経営する立場ですので、その視点で博多を代表するお祭り「博多祇園山笠」を観てみました。組織運営を客観的に観る視点が養われているのかどうかの自己トレーニングを少し文章にして整理してみようと思います。
博多祇園山笠に限らず、お祭りを運営するには大変な労力がかかります。街には長年住んでいる人たちがいたり、最近引っ越してきた人もいます。地域内での良好な人間関係を保ち続けるシステムが制度疲労を起こしており、また少子高齢化が引き起こす様々な現象は、日本国内の全てのお祭りに多大なる影響を及ぼしていることでしょう。
この博多祇園山笠も「組織とは一体何か」というものを改めて感じさせるお祭りです。運営体であるそれぞれの町のあり方から、スポンサー企業様との関係性なども合わせて考えてみますと、山笠の運営方法はそれぞれの町内で異なる部分も多く、一本論文が書けそうなくらいのテーマです。
私はそこまでやらんけど。。やっても面白いかな。。(笑)
それでは「博多祇園山笠に学ぶ企業組織論」というテーマで博多祇園山笠というお祭りの一側面を書いてみます。
人間がつくる組織と言うものを山笠はいろんな特徴を持って表しています。少し企業経営とダブらせてみます。ちなみに組織という言葉は、元来医学用語でありますが、企業経営においても頻繁に使われることばです。組織とは、「共通の目的を実現するために、2人以上の人間が、自ら積極的に協働し続けるシステムを持った共同体」とチェスター・I・バーナードは定義し、組織成立の3つの要素として、1)共通の目的 2)協働の自発性 3)コミュニケーションを掲げています。
この3つの要素が一つでも欠けていれば、それは良好な組織には成りえず、ましてや3つともないとすれば、それは単なる「集団」に過ぎません。博多祇園山笠は、企業が目指す良好な組織の類型の一つを創っているのではないかと問題提議をしてみました。
特に男性のみで構成されるお祭りである「博多祇園山笠」は「厳格な統制による組織形成」を土台にして成り立っています。 奉納行事、いわゆる神事ですので、無事に山笠を奉納し、無病息災を願うこと。これが最大、かつ共通の目的です。このことは、全ての山笠参加者が意識していること、しなければならないこととして明らかに存在します。
【組織成立の3要素1)共通の目的】
博多祇園山笠は、そこにタイムレースという目標を持たせて、参加者のモチベーションを高めている他のお祭りにはあまり見られないユニークな側面を持っております。組織全体の目標として「より早いタイムを出そう」というものを持っているのですが、一方、常にタイムだけを意識しているのではありません。タイム(目標)を絶えず意識しているのは一部の役員(上司)が中心になっています。
一般社員さんである、舁き手(かきて)はただ、一生懸命、自分の力を最大限発揮して、山笠について、舁いて、走って、ゴールをめざす。まずはそれだけです。走っている間に自分の山笠が早いか遅いかなどは考えません。ただ自分の力を出すだけです。ましてや他の山と比較してどうだったのかとか、走っている最中は全く頭の隅にもよぎりません。
舁き手が周りが見えるのは、しばらくたって、懇親会(直会 なおらい)の時です。その時に教えてもらって気づくか、もしかしたら教えてもらわない限り、自分で尋ねることもないかもしれません。一生懸命山笠を舁くことだけでタイムに関心を持つことすら忘れています。テレビで見てハッと気づいたりする時もあります。
毎日朝から晩まで一生懸命働いた後、月例会議などで、目標に対する実績を知らされて、ハッとするような感じですね。それだけ一所懸命なんです。
山笠自体を早く走らせることは、目的の内の一つに組み込まれています。そのことはみんな知っているのに、行動している時はそれには関心を寄せていない。「いい山を奉納するぞ!」という全体意識が優先。だからと言って、決して力を抜いてはいません。
みんな一生懸命山笠をかいています。
会社も同じですね。社員は目の前の仕事を一生懸命こなしています。ただ自分が立っているポジションによっては、周りのことは全く見えない。。一般社員(一般の舁き手)で経験年数が浅い人ほど、目の前のことで手一杯になってしまいます。
どのポジションにいるかで、山笠を見ている角度が違ってくるし、そこが違うと全体を見る見方も変わってきます。部門が違うと、それぞれの部門の事情を中心に見て、全体を把握しようとするのは、山笠も企業も同じ。
山笠の両サイドの一番棒についている縄を持って、山笠がぶれた時に軌道修正する役目の「鼻取り」。
舁き手とは違い、絶えず縄を操り、山笠をまっすぐに進めるように、方向を修正するハンドルのような役目を持っています。鼻取りは、表(前方)と見送り(後方)に2人ずついます。山笠の進路を実際に動かすとても重要な役割を担っています。しかしながら、彼らには山笠の全体は見えていません。ポジション的には舁き手と同じ高さの目線で山笠を見ていますし、それぞれ山笠の前の半分か後ろの半分、つまり全体の4分の1しか見えません。
見えないからと言って「見えていない」のではないのかもしれません。それは経験知という眼が働くことも十分にあります。経験の浅い人は、経験知の蓄積が十分ではありませんので、この鼻取りのような山笠の動きを決定する重要なポジションにはあまりつきません。いわゆる中間管理職か幹部社員(山笠では赤手拭と言われるいわゆる中間リーダー役か、それ以上の人たち)の役割ということになります。
「台上がり」(棒さばき)。台に上がっている人たちは、上から山笠がどのように動いているかが良く見えます。すると舁き手に対していろんな指示ができます。またエッサ、ホイサと舁き手を元気づけます。下で舁いている人は指示命令に従いながら一生懸命舁くだけです。自分で疲れた、あるいは周りの指示で交代の合図が出ると舁き縄を解いて、山笠から離れます。
少し息を整えたら、自分の意思でまた山笠を舁こう(かつごう)とします。「自分の意思で」というのがポイント。バーナードやドラッカーなどの学者が言ってる「協働の自発性」が見事に発揮されています。
【組織成立の3要素2)協働の自発性】
台上がりは、一見華やかな場所です。台の上に上がって山笠のリーダー役のように見える場所です。しかし、台に上がっているからと言って、台上がりが山笠全体が見えているかというと実はそうではありません。表(前方)の台上がりは裏側の見送り側が見えていないし、見送り側の台上がりは表側が見えていないのです。
部門のトップといっしょ。自分の部門だけが見えているけど、他の部門はわからない。しかし山笠の半分は見えているわけだし、幹部社員が担うポジションであることには違いありません。それでもやはり物理的に半分しか見えない。
「人間は自分の視野の範囲以上の物事を見ることはできない」リーダーとしては、痛切に感じる言葉です。
台上がりと同様に重要な役割を担っているリーダーとして、山笠全体を見ている人は、実は別にも存在していて、その人たちは山笠そのものを舁いたり、乗ったりして、動かしてはいません。山笠から少し離れたところで並走しながら、全体を把握しようという視点で山笠を見ています。
彼らのようなリーダーは、「全体を把握する」という意識をどのくらい持っているかどうか。つまり、リーダーと言われる人が持っている全体像のイメージがどのくらい大きいものなのか、そのリーダーの人間力が問われているのかもしれません。
よく動いているリーダーは、山笠の前に走ったり、横から見ようとしたり、後ろから見たりして現状を把握しようとしています。ベテランのリーダーは過去の経験知を活用しながら全体の把握をしています。リーダーシップのスタイルは人それぞれなのかもしれませんが、この事は組織をよりよく運営するためのリーダーとしての心得の一つではないかと感じます。
「社長は現場至上主義でなければならない。しかし、社長は現場から、しかもできるだけ遠くに離れなければならない」 社長の組織を見る視点は社員さんとは違います。。。組織の階層やポジションが増えれば余計に違います。
「厳格な組織統制」はルールによる規定を明確にしています。
山笠は「ルールに従い、ルールを自分勝手に創らない」ことにとても厳格な組織です。そこには、日本独特というか、古来からの官僚制の形態でもある「年功序列制度」も厳格な組織統制の土台を創っており、先輩や年長者の発言に従うことを求められます。部下の上司に対する姿勢として、理不尽な言葉や要求に耐えることは、ある程度必要なことは、企業内部にも同様に見られます。もっともそれを理不尽と感じるか、自分の成長を促してくれる働きかけとして捉えるかは、その人の肯定的解釈力と上司や先輩の人間力が問われるところでもあります。いずれにせよ、人間関係のストレス耐性は、山笠や会社に対するエンゲージメント(愛着心)が忠誠心を生み出す源泉の一つです。解りやすく言うと中・高校生のクラブ活動のあの雰囲気です。(決して山笠や企業の雰囲気自体を軽んじている訳ではありません)
山笠で何度も言われるのが、「安全第一」です。毎日必ず終わった後に「体調の悪い方はおられますか」「お怪我をされた方はおられませんか」と尋ねられます。
無病息災を願う奉納行事ですので、「無事に終わらせる」ことに細心の注意を払います。そして、「安全第一」を達成するためにも、特に気をつけていることが「ルールを守る」ことです。
山笠を運営するに当たって、細かいルールが定められています。役員さんは各町との調整や自分の町のメンバー間の意思疎通に頑張っています。課長・係長のミドルマネジメントと同じです。メンバー同士の意思疎通に直会(なおらい)などの酒宴を設けて、積極的なコミュニケーションを図っていきます。目的は酒を飲むことではなく、より安全に、無事に山笠を奉納するために意思疎通を計ることにあります。
【組織成立の3要素3)コミュニケーション】
(お酒を飲むことをコミュニケーションと言っている訳ではありません。酒宴は機会に過ぎません)
特に山笠を舁くときには、細かいルールが決められています。外から一番棒・二番棒・三番棒と右肩で舁く棒と、左肩で舁く棒、合わせて6本の棒に2人ずつ、舁き縄という縄を棒にかけて舁きます。一番外寄りの一番棒が外に逃げやすく、中央側の三番棒は入りづらいので、ある程度のテクニックが求められます。そして舁き手の代わり方も、舁いているポジションによって、すべて明確なルールが設けられています。
さらにより安全に、より早く走るためには、スムーズな舁き手の交代が要求されます。山笠は、常に危険と隣り合わせです。棒と棒の間をかきわけてたくさんの人たちが舁こうとするわけですし、狭い路地に入ったり、急なカーブを切ったりするわけですから、自分勝手な立ち振る舞いではリスクが大きくなります。勝手に自分の判断でルール以外の行動をすることに神経を使っています。「自分の意思」という自主性も大切ですが、その前に、「定められたルールの下で」の自律性を発揮すること重んじています。お祭りなので、時折熱くなりすぎる人が出てきます。このルールを無視して山笠に付こうとすると大事故につながります。故にルールを守ろうとみんなで努力します。またルールに従えない人は排除されます。
会社でも同じことが言えます。会社で決めたルールを守ろうとすることがとても大切です。ところが時間が経つに従い、ルールを守ろうとしなくなったり、自分自身の勝手な解釈を用いて、自分で大義名分をつくり、ルールに従おうとしなくなる人が出てきます。決めたはずのルールを守れない人が組織を崩していく。小さい組織ではよくありがちですが、山笠では「安全第一」の目的の元に組織が統制されるように、厳格なルールがあちこちで定められています。
組織が成熟していればいるほど、また中小企業よりも大企業の方が、様々なルールが張り巡らされていながら、そのルールの存在を意識することなく、むしろ当然のように立ち振る舞っている社員が多いような気がします。これが組織の統制力ではないかと思います。しかしながら、特に小企業は社長そのものがルールであり、その日次第で組織のルールが変更され、部下が戸惑うこともよくあります。もちろんそれが組織の機動力を生み出す源泉にもなっています。また、部下の順法精神の希薄さが、組織運営を混乱に招くこともよくあります。博多祇園山笠はそのルールに対する姿勢も、参加者全員にしっかりと求めています。
(中小零細企業の場合、社長の順法精神のなさが、自分で組織を壊しているという場合もしばしば見られます(笑)
最後に、「伝統とは変革の連続である」です。博多祇園山笠は776年もの伝統あるお祭りです。守るべきものは守る。変えるものは変える、この連続で成立しているお祭りだと容易に想像できます。山笠発祥からこれまでの間の外部環境の変化は計り知れません。時代の変化に柔軟に対応する姿勢と、日本の文化として守らないといけないものに対峙する姿勢は今後とも参加者に求められ続けるものだと感じます。
あ、長文になりましたが、これはまったくの主観ですから(笑)
この文章を読んでいただき、また一つ博多祇園山笠に関心を持ってくれる方が出てくることを期待しております。
おっしょい!