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何でも受け入れる気持ちで・・・

先日は会議でした。
現状の分析から、来期の方針までのミーティングでした。

会議の開催目的は、
1)会社の現在の状況を知ること
2)それを分析できる能力を身につけること
3)さらに対策を立てること
4)まわりを巻き込んで成果を作り出す行動へと移行させること

です。こうした「経営感覚を身につけた社員の育成」がこの会議の目的です。

これは、会議に参加している社員にだけ求めているのではありません。本来なら全員参加で行いたいものです。

「井の中の蛙」(いのなかのかわず)になってはいけないと思います。
ところが、すすんで学ぼうとしない人は井の中の蛙になっている場合がほとんどです。

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ことわざ【井の中の蛙(かわず)大海(たいかい)を知らず】

狭い世界に閉じこもって、広い世界のあることを知らない。狭い知識・経験
にとらわれて大局的な判断のできないたとえ。

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このまえ参加してきた勉強会で、優良企業の実例があったのですが、
工場で働いている工員さんたちが、会社の財務諸表を全員で勉強していました。

普段は機械と毎日向き合っている毎日です。経理でもなければ、営業でもありません。

幅広い知識・スキル・ノウハウ・技術・技能を身につけようと意欲的な人がより大きな視点で物事を見ることができます。

我々は、学生の頃国語、算数(数学)、社会、理科などたくさんの科目を
学んできました。しかしそのほとんどは、いま仕事で直接的に役に立つことは
ありません。配管に社会や理科は直接的には必要がありません。

算数は足し算、引き算、掛け算、割り算を知っていれば十分
です。その4つも今は電卓で間に合います。

では、なぜ直接的に今の仕事に直接役に立たないことを学生の頃学んだのでしょうか。

私はこう考えています。全ての勉強は「世の中を知るため」 「より客観的に物事を見る自分をつくるため」です。

世の中は「なるほど~こうなっているのか~」ということを国語的に見たら
どうなるのか、算数的に見たらどうなるのか、理科的には、社会的には、という
風に世の中を見る、つまり考えるパターンをたくさん見につけるためにいろんなことを
学生の頃学んできたのだと思います。

「考えるパターンをたくさん見につけること」は世の中を見る目を広げてくれます。

おそらく、財務を勉強している工員さんは、財務を通じて自分たちの仕事の仕組み
を考えることができるでしょう。そして自分たちの仕事の新しい発見、あるいは
改善提案ができることでしょう。

 「私は工員だからそんなのは勉強する必要がない」と財務を学ばなかったら、

新しい発見や改善提案は出てきません。

まさしく、「井の中の蛙、大海を知らず」です。

自分にないものを取り入れようとする心が自分自身を広げてくれるのです。
それはまさしく、「幸せになりたい」という自分の欲求を満たしてくれると
私は感じます。

誰もが幸せになりたいと思っています。しかし努力なしには幸せにはなれません。

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